津田梅子の経歴や学歴は?代表作(本)や名言は?結婚・子供は?




こんにちは、もっぴーです。

2019年4月1日に新元号が「令和」と発表され世間の大注目を集めましたが、今度は、お札の肖像画が変わると発表され、驚きました。

1万円札は渋沢栄一、5千円札は津田梅子、1千円札は、北里柴三郎になるそうです。

前回の変更で5千円札は、初めて女性が採用された流れを受けてか、今回も5千円札も女性です。

5千円札の顔となるのは、「津田梅子」。

津田梅子ってどんな人なんでしょうか。

今日は、津田梅子の経歴(学歴)や学歴、代表作(本)や名言、結婚して子供はいるのか、などの情報を調査してみたいと思います。
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津田梅子の経歴や学歴は?

では早速、津田梅子の経歴や学歴をご紹介したいと思います。

出典:https://matome.naver.jp/odai/2135765437327827401/2135805412674347703

1864年12月31日、父・津田仙と母・初子の次女として生まれる。

1871年、父が女子留学生に梅子を応募させ、当時6歳ながら岩倉使節団に同行し渡米。

 

梅子は、アメリカ・ジョージタウンのランマン一家に預けられ、十数年を過ごすこととなる。

1878年、通っていいたコレジエト・インスティチュートを卒業するころには、日本語より英語の方が得意になっていた。

その後、アーチャー・インスティチュートへ通い、ラテン語・フランス語・自然科学や心理学などを学ぶ。

1882年、17歳になり、同校を卒業したのち、日本へ帰国。

 

日本へ帰国したものの、海外生活が長かった梅子は、日本語がほとんどしゃべれなくなってしまった上に、当時の日本では、女子留学生が活躍する場もなかった。

1885年に、華族の子女を対象に教育を行っていた、華族女学校の英語教師として雇われることとなる。

しかし1889年、上流階級の雰囲気になじめなかった梅子は、3年で教師を辞め、に再び渡米する。

 

アメリカでは、フィラデルフィア郊外のリベラル・アーツ・カレッジ、ブリンマー・カレッジ (英語版) で生物学を専攻した。

友人のアリス・ベーコンが日本の風習や女性に関して、研究していた際に手助けをしたことをきっかけに、日本の女性教育に関心を持つようになった。

1892年に帰国し、再度、華族女学校で教師を務めつつ、女子高等師範学校の教授となるなど、積極的に女性教育に携わっていく。

1900年、36歳のときに、「女子英学塾」(現津田塾大学)を創設し、華族平民の区別なく女子が教育を受けられる学校を作り上げた。

 

一方で、学校創設期から体調を崩し、1919年には、塾長を退任。

その10年後、1929年8月16日に脳出血のため、64歳で死去する。

女子英学塾は、戦争で校舎が焼けてしまったため、梅子が亡くなってから約20年後の1948年に、正式に津田塾大学として落成した。

 

日本の女子教育に人生をささげた津田梅子。

6歳で海外留学なんて、スゴイですよね。

私にも3歳の息子がいますが、3年後に1人で海外に留学させられるかというと、無理ですね(笑)。

アメリカに行って、ちゃんと生活できた梅子もすごいと思いますが、行かせた親もすごいと思います。

 

帰国してから、日本の風習や習慣に馴染めなかったようですが、そのギャップが日本女性の教育への熱意に変わったのでしょう。

日本女性が、普通に大学へ行ったり、就職して管理職に就いたりすることができるようになったのは、津田梅子の努力のおかげなのかもと考えると、五千円札の肖像に選ばれたことにも納得できます。

 

NHKの朝ドラ「朝がきた」の「梅ちゃん先生」こと下村梅子は、津田梅子がモデルといわれているので、津田梅子がどんな人だったかを詳しく知るためには、「朝がきた」を見るといいかもしれません。
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津田梅子の代表作(本)や名言は?

津田梅子は、自身で本を書くことはありませんでしたが、いくつか名言を残しています。

環境より学ぶ意志があればいい。

 

先生をするのであれ、主婦になるのであれ、どのような方面の仕事をするのであれ、高尚な生活を送るように努力してください。古い時代の狭量さ、偏屈さを皆さんから追い払い、新しいことを求めつつ、過去の日本女性が伝統として伝えてきたすぐれたものはすべて保つ努力をしてください。

 

何かを始めることは易しいが、それを継続することは難しい。成功させることはなお難しい。

どの言葉も胸に突き刺さります。

津田梅子は結婚していた?子供はいたの?

女性の代表として五千円札の顔となる津田梅子ですが、結婚はしていたのでしょうか。

実は、津田梅子は、結婚はせず、生涯独身を貫きました。

当時の日本では、女性は結婚し、子供と家庭を守るのが当たり前。

親は何度も縁談を持ちかけたそうですが、梅子は嫌がり、「二度と結婚の話はしないでください。話を聞くだけでもうんざりです」と手紙を書いたそうです。

女性として自立し、独身を貫き通した強さは、現代の女性と通じるものがあると感じますよね。
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津田塾大学の場所は?アクセスは?

少し話は変わりますが、津田梅子が創設した津田塾大学ってどこにあるのか気になりますよね。

津田塾大学には、小平キャンパスと千駄ヶ谷キャンパスがあります。

小平キャンパスは、こんな素敵な校舎なんです。

https://shingaku.mynavi.jp/gakkou/635/

私が通っていた高校が小平キャンパスの近くだったため、高校生向けの授業に参加したり、受験もしたので、何度か訪れたことがあります。

周りは、林に囲まれており、自然豊かな大学という記憶があります。

津田梅子のお墓もあるようなので、チャンスがあれば、改めて学内を見学してみたいです。

住所:〒187-8577 東京都小平市津田町2-1-1

アクセスは、西武国分寺線の鷹の台駅から徒歩8分です。

 

千駄ヶ谷キャンパスは、訪れたことはありませんが、中央線や総武線に乗っていると見えるので、社会人になってからは毎日のように見ていました。

こちらは、ビルという感じですね。

出典:https://cps.tsuda.ac.jp/buildings.html

学部によって小平キャンパス・千駄ヶ谷キャンパスに分かれています。

住所:〒151-0051 東京都渋谷区千駄ヶ谷1-18-24

アクセスは、JR総武線の千駄ヶ谷駅から徒歩1分です。

これから受験する人が増えそうですね。

まとめ

日本女性の教育の礎を築いた津田梅子。

五千円札が樋口一葉から津田梅子に変更される時期は、2024年上半期とされており、まだまだ先ですが、楽しみに待ちたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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